まるあろぐ

視点と深度と言葉

人に嫌われるのって、そんなに嫌?

日常生活、年上や年下に関係なく、基本的にはなるべく誰にでも敬語で明るく優しく低姿勢で丁寧に接するようにしてるけど、それでも初対面から敵意むき出しで来る人もいるし、どうしたって嫌われる人には嫌われるんだよね。

 

上手くやろうとしてやれなかった時には、帰り道や家に帰ってから一人反省会していた時期もあるし、シャワーで髪洗ってる時が異様にへこみタイムだった頃もあるし、それでもどうにかしようとしたこともあるけど、どうしたって無理なものは無理なんです。

 

じゃあどうする?って話だけど、それって本当に嫌なのかな?意味のあることなのかな?って考えてみるといい。

 

どちらかと言えば好かれた方が得する場合は多いし、何かとスムーズで希望が通るかも知れないけど、本当に誰にでも好かれたい?誰にも嫌われたくない?

 

たとえそれを望んだところで、どんな人気者やどんな有名人でも無理なんだよね。

 

後になって思うと、まるあはいつもいつでも誰かの一番になりたかった。そのために色々なものやことをやっているっていう側面があった。それが空回りして返ってきて、自分を痛めつけていた。嫌われたくないっていう気持ちとしてね。

 

それを目指す努力で身に付いたものもたくさんあるし、形になったこともあるから、全部を否定する気はないし出来ないけど。

 

意味の話になるけど、人に好かれるとか嫌われるを気にすることに、そこまでの意味や価値はないと思う。

 

思い当たる節がないのに明らかに嫌われていると感じればいい気分ではないのは別に大抵の人がそうだろうし、もしも選べるのなら好かれた方がいいだろうけど、どれだけそのために時間と気持ちを注ぎ込んでも、それは自分では選べないことなんだ。慎重に、常に最善と思われる言葉と行動を選択していったとしてもね。

 

だって、無理な人っているでしょ?

 

誤解のないように伝えておくと、これが夢や恋愛の話なら、どうしてもこの人にはって相手には人生を賭けて挑むべきだと思うよ。そこには時に勢いや強引さも必要だけれど、相手の気持ちも考えた上でね。

 

今はどういうスタンスで生きてるの?っていうと、好かれるのと嫌われるのの差は51%と49%くらいの違いで、どちらかと言えば好かれた方がいいとは思うけどって考え方。

 

もう一度言うけど、選べないから。

 

それよりもっと大事な意味や目標を持って、きちんと自分として人と接した方が、きっと今の自分のためにもその先の未来のためにもいいと思うよ。それは結果として、君と接する相手のためにも。もちろん、最低限は気を付けた上でだけどね。

 

今のまるあが何を一番大事にして家族や友人以外の多くの人と接しているのかは、いつかまたどこかで。