まるあろぐ

視点と深度と言葉

どうして勉強ってしなくちゃいけないんですか?

冗談で言ってる人も多いかも知れないけど、そういう雰囲気に呑まれて、本当はやればがんばれるのになんかがんばり切らない、がんばり切れない人も多いと思う。

そんなの絶対もったいないから、ここに言葉を置いておきます。

 

勉強する意味とは、君がいつ、何をしたくなっても、何になりたくなっても、その時に困らないためだよ。可能性を上げることと、もう既に最初から無理っていう世界に入らないため。

 

いくつになっても遅くないこともたくさんあるけど、それ以上に、この歳までにこのラインにはいなきゃ駄目ってものは本当に多い。そしてそれは、若い時に目に入りやすく追い求めたいもの、掴んでみたいものほどそうなんだ。

 

後からじゃ駄目、後からでも叶うかも知れないけれどその時ではもう意味がないってものはその先の人生にずっと重くのしかかり、行動の選択肢や可能性を狭める。

 

そうならないために、最低限の勉強はした方がいいし、今どうしてもやりたいことや、どうしてもそうする必要があるものがあるのでないなら、大学には行った方がいい。今、家がヤバいとかでなければね。

 

今がんばれる環境にあるならがんばって、後からそこに意味を持たせたっていいんだ。これでよかったんだって思える意味を。

 

自由に生きたいから学校辞めるって人もいるし、実際にいたけど、その先で本当の意味で自由を掴み取るためにこそ大学には行くんだよ。

 

中学や高校の時点でやりたいことやなりたいものが見つからないのは別に恥ずかしいことじゃないし、行き先が明確じゃないから前向きに見て考えられないのもおかしなことじゃない。やる気のなさや精神的なアップダウンもセットみたいなものなんだよね。

 

いつ、何を、どうしたくなるかなんて本当にわからない。

 

別にただ勉強しろなんて言うつもりはないよ、まるあだって出席日数や単位は常にギリギリだったから。

 

たくさん遊んで、なんでもやってやってみて、恋や愛を知り、その上で本当に自分がやりたいことやなりたいものを見つけるのがいいと思う。

 

勉強なんて意味ないとか、楽な意見や考えを取り入れるのも自由だしその道が進みたい道なんだったら進むといいと思うけど、そういうことを言っている人達が自分の理想像に少しでも掠るのかってのは慎重に見極めた方がいいよ。

 

そして、勉強をすることと教養が身につくことは完璧にイコールなわけではないけど、重なる面も多く、知ることと学んでいくことに付随して教養は身についていく。

 

なんで教養が必要なの?って、教養がないってことは中身がないってことで、中身がないってことは自分がないってことだからだよ。

 

空っぽなままでは自分の人生を生きることすら出来ないし、すべてがなんとなく過ぎてなんとなく終わってしまう。

 

どんなに真面目に勉強してた人でも、子供の頃に一度は言われたことがあると思う。ちゃんと勉強しなさいって。親や育ててくれた人の言ってたことで、それはきっとマジだと思うよ。

 

お金がなくて大学を諦めようとした人が大学に行ける方法はいずれ書きます。奨学金は使わずにね。自分の周りの実例を挙げて。

 

大人になったからって勉強しなくなるのも駄目だよ。知ることと学ぶことを止めた時、人はみな老人になる。若さとは、記号としての年齢だけで決定づけられるものではない。

 

偏差値や浪人や留年についてまるあが思っていることは、いつかまたどこかで。