特によくされる質問の一つなので、ブログを読んでくれた人に向けてここでお答えします。
一般的に、本を読むとか真っ先に浮かんだり言われたりすると思うけど、それだと半分正解くらい。それも、たくさんある正解の内の一つだけど。
まず、本を読むのなら、そこに記されている言葉と内容が完全に自分のものになるところまで読む。そして、自然とそこを経由して自分のものとなって出てくる。そこまでやることが最初の一歩。
本に限らないけど、自分のものになるところまでやるっていうのが大事だと思う。
じゃあ何をどうすればいいの?って話だけど、語彙ってのはその人の人生経験そのものなんだよね。知ることや学ぶこと、それに楽しむことや詳しくなることが好きだし面白いからなんでもやってみてるだけで、まるあも別に凄い人間じゃないけど。取り返しのつかないような深刻なマイナスや絶対に嫌なこと以外、なんでもやりたいしやってみたい。今までも実際にやってきた。
たくさん遊べばいいし、たくさん読めばいいし、たくさん観ればいいし、たくさん聴けばいいし、たくさん考えてたくさん感じればいい。だけど自分の体感、感情の深いところ、もっというとそれがすべて自分のこととして強く感じられるレベルまでいかなくてはならないから、そこには本気が必要だし、絶対に外で人と深く接しなくては駄目。
画面越しや紙の上じゃ駄目なんだよ。知ってるだけじゃ駄目。
たくさん悩んで、友達を作って、恋もして、その歳その歳で経験すべきことをきちんと経験していけば必ず語彙は豊かになる。普通なんて言葉は好きじゃないけど、普通や当たり前だなんて呼ばれているものにも必ずそれなり以上の意味はあるんだ。じゃなきゃそれが普通にならないでしょ。時代と共に変化はするだろうけど。
その上で他の人がしないことや簡単には出来ないこと、それを積み重ねていくことでそれが個性になるし、やがてその個性は君の強みになる。
言葉と思考は密接に結び付いてるから、使ってる言葉、その語彙で、結果的にどんな人間なのかってことも目に見えない速さで変わっていく。良い方にも悪い方にもね。なりたい自分なんて言葉がまるあは好きだけど、その言葉で築き上げた行動と選択が、そこまで連れて行ってくれるんじゃないかな。
ちゃんと意識して、言葉の前後の関係性まで操って意味を練り上げて。それを繰り返していくことで自分だけの言葉の使い方や、いつか誰かの胸を打てるような文章も自然と生まれてくると思うよ。
大事なことだから伝えておくけど、外に向けて使う場合の語彙は、目的ではなく手段です。それが目的じゃ何処にも行けない。
少し世の中が落ち着いてからの話ではあるけど、今からでも誰かの中に1%でも伝わって、その1%の更に一欠片でも残ってくれたらいいなと思います。
どうせ読むのなら観るのなら聴くのならとか、文章の書き方なんかの話はいつかまたどこかで。