ただがんばることが努力だなんて考えでいると、何も出来ず何にも成れずあっという間に毎日は過ぎて終わってしまうから、私の思う努力について書いておきます。
努力っていうのは、がんばって結果を出すことだと思う。
結果の伴わない努力は、出来ることをやれる範囲でやってるだけで、それはただの当たり前の最低限。それは本当の意味で努力ではないんじゃないかな。
結果を出すためには、がんばれる力、継続出来る力、他にもたくさんのものが必要だし、そこには運が介在することだってあるだろう。
だけどそれがいつ来てもいいように、常に腕を磨いて、照準を合わせて、昨日より前に進む今日を確かな今として刻み続けること。それを繰り返し続けていくことこそが、真に望むものを手に入れるために必要なんじゃないかな。
なんとなくじゃ駄目だし、やるべきことなんてのは大抵がすぐに目に見えて結果が出るものではなく、はっきり言って面倒臭いと思う。やってみて出来ない、どうにもならないなんてことが怖くて仕方ないことだってあるでしょう。
だけどいつかはそこを越えなくてはならないし、進むべき道の山や壁や課題なんてものは年と共に険しくなっていき、遠回りしても減ることはない。越えない限り、ずっと越えられないものなんだ。
あの頃やっておかなかったことを後悔するのもいいけど、一通り後悔したら、今の自分で、積み重ねてきた分の知識と経験をもって冷静に考えてみたらいい。
今なら出来るんじゃないか?なれるなれないじゃないよ。努力が、本当の意味での努力が。
がんばったらがんばった分だけ結果が出るものばかりじゃないし、周りを見れば、自分より出来ている人と出来ていない人ほど目に付く。自分で自分のことをよく見えていなければ、自分が今どのくらいなんてわかることもなく、実際の位置がわかることもない。
比べるのもいいし、比べないのもいい。自分のことをもっとよく見て、向き合って、本当に思ってることを見つけることじゃないかな。
そうすれば自ずと今やるべきことがわかるし、そのためにやるべきことも、やり方も見えてくる。
もうそこまできたら、あとは結果を出すだけでしょ。結果を出すことが努力なんだったら、君は絶対に努力が出来る。報われる。努力はいつか実る。自分のやりたいことをやるために、それを手に入れるために、ただがんばってそれを掴み取るだけだもん。
大変なことだけど、それは決して難しいことじゃない。きちんと自分が見えているのなら、その君が、今の君が、明確に想像出来ることのほとんどは実現可能なのだから。
その努力が本当の意味で努力なんだったら、それはきっと君を裏切らない。過程が意味を持つのも、何らかの結果の後でだよ。
無理と無茶の違いや、大丈夫とか大丈夫じゃないについてはいつかまたどこかで。